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酒田大火 ~復興の資料編 その1~


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酒田大火について調べることが
自身のライフワークになってきております。

当時の画像とか無いもんかと酒田市立図書館に行ったところ
受付のお姉さんが、この2冊を薦めてくれました。

「酒田大火記録と復興のあゆみ」 1977年 酒田市建設部
「酒田大火 復興建設のあゆみ」 1979年 酒田市建設部

カラー画像もあり、なかなかイイ資料でしたわ。

題名のとおり、酒田大火からの復興までの記録が主に書かれています。

「復興」と一言で言ってしまえば簡単ですが
そこには、人々の熱い思いがあったことが、ガッツリ記されています。

そのあたりの話を、簡単に紹介。




酒田大火における住宅の被害は以下のとおり。


罹災世帯数    1,023世帯(全焼:1,016世帯、半焼7世帯)
罹災人員 3,300名  (全焼:3,270名、半焼:30名)
焼損建物面積   15.2ha
焼損区域面積   22.5ha
焼損棟数     1,774棟(専用住宅:516棟、併用住宅:458棟、店舗:43棟、その他:757棟)
その他の被害  診療所:6箇所、道路:31,325m2、水道(止水栓)988個、通信1,170回線
被害額       405億円

被害が生じた後、すぐに仮設住宅の設置が施されたそうな。

仮設住宅においては、被災者よりの強い要望で
災害地にできるだけ近い場所に 設置することになっそうで

中央公民館の54戸を最高に、浜田小23戸、 若浜小22戸、藤井氏宅地29戸
専修訓練校20戸、終末処理場用地 50戸

計198戸を12月20日まで完了したとのこと。



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仮設店舗についも考慮され
復興計画に支障のない場所(9ヶ所)に238戸建設されたそうな。

大火のあった酒田の街は、商店街を中心に栄えてきた街であったゆえ
仮設とはいえ、すぐに店舗を準備したのはさすがである。










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↑が考え出された都市計画図。

この都市計画のコンセプトは

1.将来交通量に対応した幹線道路の整備
2.近代的な魅力ある商店街の形成
3.住宅地の生活環境の改善整備
4.商店街と住宅街の有機的な結びつけ

やはりココでも、キーワードとして「商店街」という言葉があがる。








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また、市街地にある緑地帯が延焼を食い止めたことを教訓に
街の中に、緑地帯としての公園を造り、そこを防火区域として機能させるとともに
憩いの場としての活用をするという意図で、多数の公園の設置が計画された。













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被災地区の大半は酒田市の繁華街であり商業の中心地でもあった。
酒田随一のメインストリートにふさわしい魅力的な近代的商店街づくりの 軸として考えられたのが
中町通り、内匠町通りに計画された幅員12mの ショッピングモール(歩行者専用道路)である。

庫の歩道は浜町通りを地下道で横断し、新井田町の歩行者専用道路(幅8m) 及び各種公園と連絡し
更に新井田川に架橋することにより、東栄町方面の 新興住宅街と直結される。

これら3本の歩行者専用道路は車優先の社会から 脱出をはかり
非常の場合以外はすべての車を排除し買物道路、通勤通学、 自転車道路として利用され
安全、快適な都市環境を生み出すものと考えられて計画されたそうな。








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街の復興を行う際、土地区画整理を行うにあたり
計画に対して、住民から色んな意見が出たそうです。


その意見をいくつかビックUPすると・・・。


『減歩に反対、精算金の徴収も反対』

どの時代でもお金にまつわることは意見が出るところである。



『32M道路を25Mに変更されたい』

15M道路での防火帯を突破された教訓から
街の真ん中に、2車線×2車線の32Mの道路を計画したのだが、これが広すぎるという意見。
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また、他の計画された道路についても多数の意見が出る。

『生活道路が4Mでは狭い』
『新井田町に大きな道路を作るのは、住民にとりマイナスである』
『山椒小路地は現在でも防火帯である。中匠町、中町通りを結ぶ中央道路として存続されたい』
などなど・・・。

道幅については、防火という視点から重要な点でもあるし
都市計画の中でも重要項目であったゆえに、かなり意見が出てたようです。



計画では、先に記したように、街の真ん中に公園の建設が計画されたのですが
それに関しても、意見がでておりました。

『一番町、浜通りに計画された公園は、商店街の発展を阻害するもので東後方に変更願いたい』

『商店街が分断されるので、中町一丁目と二番町の公園は不要である。』

う~む。。。なるほど、公園は商店街の絆を壊すという見解。
商店街を中心に生活してきた街ならではの意見ですな。










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上の画像は、横浜国立大学 建築科教授 入沢恒先生の講演会です。

住民の意見に対して、行政側は有識者の講演会を開くなどして
理解を求める事をしているのよ。。。これはエライね。さすが酒田市!

防火都市づくりの権威である入沢先生は、「火災復興と防災都市づくり」と言う題目で
酒田における復興都市計画の趣旨を説くわけですよ。

この話が、実に興味深い。
酒田大火から30年以上経った今でも、うんうんと納得できる話であったりする。



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「火災は人災であるがゆえに、ある確率で起こるものではない」と先生は説く。
すわ、防災の意識によって、大火発生の確率は如何様にもなると言う事でR!


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都市環境をはかる尺度は、「安全」、「健康」、「便利」、「快適」の4つであると。
便利ばかりを求める時代は終わった。この4つがバランス良くそろえるのが重要であると。


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なるほど~。木造住宅で生きる日本人にとっては、「集団の安全を守る気持ち」が大事だと。
外国との比較をして、日本人の特性から防災意識を語るところが、やっぱり有識者やね。


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公共の公園についても、日本人と欧米人の考え方の違いがあると。
日本人において共同の庭造りは、あまり関心ごとではない。
個と共同という空間の使い方について、公営住宅を例にして説明するわけか・・・。

公共のスペースが、防災では重要な意味を持つことは、ここでは論じないのか??


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物を買う場所だけが商店街ではない

こらから重要なのは、再開発から生じる個人の利益より
市民のレクリエーションの場としての意味合いのほうが重要であると。


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ここで、公園のあり方を説くとな・・・。

防災という視点ではなく、あくまでも市民のコミニティー的なものとして欲しい。
公園をどのように使うかは、市民しだいだと。市民は公園を育てよ!と!

12Mの商店街モールは、当時では珍しい、人と車の分離ということでの野心的な企画だったのか。。。
T字路、コの路形道路も、わざと車を過剰に入れない作戦なのね。。。


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さらに、商店と住宅の共同化が重要な要素だと説く。
商店街を中心にして生きてきた、酒田の街においては、当然ながら重要なポイントであろう。




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↑昭和52年9月 大火から1年経つが、整地が済んだのみである。

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↑昭和53年2月 暖冬ということもあって、復興工事は休み無く進められた。

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↑昭和53年5月 春の到来と同時に、一気に建設が進む。




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建設中の清水屋。 













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完成まじかの清水屋。















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資料館の前には公園ができた。
炎によって突破された15M道路は、32M道路へと生まれ変わった。

う~む。見るからに火が広がらない布陣だなッス!!













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生まれ変わった、中町ショッピングモール。
おお~!なんか・・・。一風代わった銀座みたいだ!(えっ。言いすぎ?^^;)




こうして資料を読み解くとですなぁ。
あの街の商店街には、こんな苦悩と努力があったのかぁ。と、素直に感心しちゃうデスよ。

大火の後、生まれ変わった街。

あの当時、ようやく復興だということで
こらからの未来に、希望と夢が膨らんでいただろうなぁ。。。



そう思うと・・・。



30年以上経って、、、ちょっと寂れ気味の商店街が・・・。

どうも・・・心に引っかかる。。。



ガンバレ!中町商店街
 (ブログの更新が・・・6月でトマッテルヲ~(;´Д⊂)。)

ガンバレ!中通り商店街
 (ブログの更新が・・・8月でトマッテルヲ~(;´Д⊂)。)

ガンバレ!SHIP
 (2006年、予備審査で合格者なし、その後公式の動きなしって・・・(;´Д⊂)。)



モットガンバレェエ~酒田ァアアアヽ(゚∀゚)ノアアア!
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Commented by aaty at 2010-09-26 13:26 x
駅から姫路城に向かってまっすぐ「25M道路」がのびています。
亡くなった父は、その道路ができた当初、「こんな広い道、どないすんねん。」と言っていましたが今やセマセマの目抜き通り。

時代は猛スピードで進み人間の依頼予知能力をはるかに超えていたようです。

こちら、神戸で広がる「空き地」とやたら多い100円パーキングが悲しい今日この頃。。。。

Commented by a-tekichi at 2010-09-26 22:03
酒田の自慢の32M道路は、車の往来もやや少なめです。
やっぱり・・・32Mもいらなかった??

あの当時の市民は、34年後の酒田の姿は想像できなかったでしょうなぁ。
郊外に大型のショッピングセンターができて。
酒田にも高速道路ができて。
「おくりびと」が大ヒット。

今から30年後・・・。 山形市が仙台市山形区になってるかも^^;)。
by a-tekichi | 2010-09-22 15:06 | 酒田大火研究室 | Trackback | Comments(2)