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グローバル化が胡散臭いワケ。

「グローバルな視点」とか「グローバルな考え方」やら「グローバルなスタンス」とか
あちらこちらで「グローバル」というフレーズを聞く。
「グローバル」ってことは、地球の意味であり
世界的な、世界的視点・・・。ってことであることは、基礎知識としてワシも知っておる。

でもね・・・ど~も、「グローバル化」ってなような言葉を聴くと
それが正義であり正しいように聞こえるが
本当にそれが正義なんだろうか?って思っちゃうのよね。
グローバル化で、世界標準を!っていうけれども
それって結局、米国基準ってことじゃないの?

エスキモーの人達も、グローバル化しないといけないの?
エスキモーの人達も、米国基準に合わせないといけないの?
エスキモーの人達にしてみれば、余計なお世話だ馬鹿ヤロー!でないの?

う~む。

どうも、「グローバル」って言葉、正義とみなされがちだが
ワシ的には、胡散臭くてダマサレテイル感じがするんだよね~。





グローバル化

これまで存在した国家、地域などタテ割りの境界を超え、地球が1つの単位になる変動の趨勢(すうせい)や過程。グローブ(globe)とは、球体としての地球の意味。1970年代、地球環境が人類的課題だという意識が生まれたことなどから広く使われるようになった。冷戦期には、東西分断を超える人類的視点をグローバルと呼び、世界平和を志向する用語。こうして、国家ではなく人類の視点から、環境破壊、戦争、貧困などの地球的問題に取り組む「グローバルに考えて、ローカルに行動する」という標語も広まった。しかし90年代には、経済のグローバル化が強調された。各国が金融自由化を進め、また旧ソ連圏が崩壊し、情報通信システムの統合が加速した。その結果、巨大企業が世界を市場や投資先として苛烈に競争を展開し、半面、政府は資本への規制力を弱体化させ、短期の資本移動や為替の投機的取引に対する統治能力が弱まった。また地球の1カ所の経済破綻が、通貨危機や世界同時不況として波及する事態が相次いだ。さらに、国民経済は構造調整が迫られ、広範な倒産や失業が広がった。これら経済のグローバル化は、実質的には米国の経済的優位に重なることが多い。その中で、グローバル化は資本の支配の貫徹であり、貧富の差を拡大し、環境と固有文化を破壊するという反グローバリズムの主張が力を増している。こうして、むしろマイナスの価値を示す言葉としてグローバル化が語られることも多くなり、言葉の二面性が強まっている。

(坂本義和 東京大学名誉教授 / 中村研一 北海道大学教授 / 2007年)


なるほど!坂本・中村先生ありがとう!
ワシがグローバルに胡散臭さを感じる原因が分かったYo!

グローバル化には大きく分けて2つの使われ方があったと。
70年代における地球環境をベースにした人類的課題へのアプローチとして。
それと90年代から使われ始めた、経済的な意味としてのグローバル化。

ワシが胡散臭さを感じるのは、90年代の意味のほうなんだわさ。
そう、、、ワシの感じる胡散臭さ・・・。
それはつまり、反グローバリズムを意味してるんだわな。

ワシが思うに、グローバルってのは世界共通、すわ人間共通の意識といいましょうか・・・。

国という単位よりさらに深く、民族といった意識よりさらに深く
男女の性差の意識よりも、さらに奥にある人間共通の意識。
そこを感じとり認識することが、グローバル化ということだと思う。

人間共通の意識、人間共通の視点、人間共通の感情とか。
原始的でもっとも基本的な人間の根源事項とでもいいましょうか・・・。

言葉にできるとイイのですが、的確な言葉が出ないのよね。
言葉に出来るまで、少し修行を要するのだわさ。

「グローバル=人間共通の意識」って視点だからって
70年代における、グローバル化の使われ方ってのは、しっくりくるのね。


グローバル化ってことを考えていたらば
人間の共通の意識って、具体的にはなんだろう?って、あらたな疑問が生じてしまった。

コレは次回の課題だなっ。(・。。・)


「意識」ってこと自体、研究の途上であるらしいぞ。
by a-tekichi | 2015-05-12 16:05 | 考えるる部 | Trackback | Comments(0)

わぁああ~い♪ 芋だ~芋だ~♪


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