そもそも、スポーツって何よ?
なんだかんだといって、娘もバスケットを始めたワケです。
元来、筋金入りの文系のワシ的には
親とはいえ、ワシがバスケに係わるなど、思いもしなかった出来事だったのでした。
小学時代は、病により、体育とは縁の無い安静な日々。
中学時代は、体育教師の御指導に納得がいかず。
高校時代は、精神が完全にヒネクレて、完全無欠の文化系に。
こうして、36年間、スポーツとはかけ離れた人生を送ってきてしまったワシです。
して、36年生きてきて、今更ながら思うたのですよ。。。
( ・ω・)・・・・そもそも「スポーツ」って何よ?
おおお・・・なんと壮大な「問い」なんだぁ~~( ̄□ ̄;)。
自分で問うているのに、そのアイマイな定義に、裕木奈江状態デスよ。
奈江バッシングに困ったときには、ネットです♪
ネットサァーフィン(笑)をしていると、こんな書物をハッケーン!
【玉木正之:スポーツとは何か,講談社現代新書,1999。】
スポーツの基本は,遊びである。
遊びとは<非実用的でそれ自身のために追求される肉体的,精神的な活動>のことである。
また,<目的のない活動であり,それ自体のためにあり,仕事の反対語>でもある。
遊びとは<あくまでも自由の領域にあるもの>といえる。
ほほう。これは「MY問い」にお答え頂戴いただける書物ドスなぁ。
玉木センセイは、スポーツの基本には「遊び」があると説くか。
しかも「目的が無く、それ自体のためにあり、仕事の反対語」ってか!
では、プロスポーツ選手って・・・どう定義すれば・・・。
目的が無くってことは、金メダルは目的ではなく、目標ってことであり
バスケットをする目的は、バスケットのためであると・・・。
おおおお・・・何やらメビウスの輪にはまってしまった感があるぞな。
遊びには,本来,目的が存在しない。
遊ぶために,遊ぶ。それが,遊びである。
ベースボールという球戯ボールゲームは,もちろんスポーツの一種であり
スポーツは遊びの一種であるから,ベースボールをやる目的もまた
基本的には,投げて,打って,走って,楽しむ,ということだけで完結する。
それ以外の目的や結果(野球のプレイを見せて金銭を稼いだり,野球をとおしての教育等)は,
すべて第二義的なものといえる。
ほうほう、納得&納得。
あくまでも、それに付随するものは、2次産物だと。
話を戻すが、玉木センセは、著書の中でこんな事も言っておる。
スポーツの定義は,国語辞典ならば
<遊戯・競争・肉体的鍛錬の要素をふくむ身体運動の総称>といった説明でいいのだろう。
が,「スポーツとは何か?」という命題に対する回答としては
「スポーツ学者の数だけある」といわれるくらい数多く存在する。
その一部を,紹介してみよう。
<余暇における余剰エネルギーの消費(浪費)>(多くのスポーツ学者の説)
(*´∀`*)<浪費~~。 余剰エネルギーの消費~。
解釈によっては、独り完結のスコスコ活動もスポーツってか。
<人間及び動物がその美しさを増大することを目的として行う努力>(マルセル・ブランジェ)
(*´∀`*)<ス、ステキ・・・。 なんとステキな定義でしょ。
スポーツは美学でもあるのネッ♪
ならば、美術はスポーツだっ!逆も成り立つのかしら??
<遊戯,闘争,および激しい肉体活動の複合されたもの>(ベルナール・ジレ)
(*´∀`*)<闘争!激しい肉体活動!・・・。
70年代はデモ、逆バリ、ロックアウト、というスポーツが盛んでした。
「身体運動による精神の解放」
「合理的な身体運動のなかで,非合理的な人間の存在を浮き彫りにする行為」
この2つは,本書の著者による定義である。
いずれにしても,スポーツとは,「自由の領域での遊び」が前提になっている。
ふ~~ん。
「身体運動による、精神の開放」ねぇ。。。
さすが、国士舘大学体育学部大学院非常勤講師の玉木センセイはイイことをおっしゃる。
逆に「身体運動による、精神の拘束」ってのが、割とありがちなパターンだが
これはセンセイの言う「スポーツの定義」とは真逆になるわけどすな。
ふんふん。 なるほど。
「スポーツ」と「精神」、この関係ってば、スポーツちゅうもの考える上で
モノスンゴク重要なポイントとなるよなぁ~~。。)
というわけで、この話つづきます。
精神を開放出来切れなくてストレスのたまるスポーツでも有りますが
ほうほうほう・・・そういった分類もあるのですな。。)
クワイエット・スポーツ・・・ってなんか、あるいみ内向的だよなぁ。。。
ちょうど、60年のアメリカンなテイストに合致する気がするわん。
なんて思っていたら、クワイエット・スポーツってば
ヒッピー文化を根源に持っているとか。。)
どうりで、ワシが好きそうなスポーツなわけだ^^;。