蔵王鉱山探索 ~当時の写真編~
当時の写真を見つけましてので、紹介します。
これが、鉱山の全貌です。
川の流れにそって建物があり、一番上の部分には小屋が2つ。
逆側から撮った、2012年の同じ場所です。
コンクリの建物は、当時の写真の中央部にある長方形の建物の跡でしょうか。
左上の、山の地面が三角に露出している部分。
ここの部分だけは、当時と変わっていないようです。。。
この三角部分の下あたりが、坑口を発見した位置です。
全貌です。
輸送ケーブル用の塔からでしようか???
上から見ている図ですな。
平成6年?? だかに撮影されたモノです。
ゼロ坑と呼ばれている場所だそうです。
鉱山の最下部にあったので、たぶん0mを意味してるんだと思われます。
確かに、砂防ダムの脇に、人が組んだ石垣がありました。
それがこの石垣だと、写真を見てわかりました。
これも平成6年撮影のものです。
残っているコンクリートの建物が見えます。
いまより侵食されてませんな。
ちょっと遠い位置からですが、今の状況です。
石垣部分は、埋もれてしまっていると思われます。
多分、左岸側だと思われます。
閉山して間もなくのころだそうです。
この上あたりか、この位置あたりに神社があったそうです。
神社の部位は、おそらく崩落していると思われます。
当時のボタ山です。
正確な位置はわかりません。。。
精錬所があった、現在の「猿倉スキー場」の場所かもしれません。
これも閉山して間もなく。
右岸側の廃屋だと思われます。廃屋の下に、坑口があるとのこと。
上部に、△で組まれた横に長い建築部分がありますが
この部分が、おそらく今残ってるコンクリの跡だと思われます。
軸索だそうです。
閉山間際に、鉱山は雪崩に襲われたそうです。
当時の写真を見ていると
活気にあふれていた当時がモリモリと感じられるのと同時に
時間の流れの刹那さも感じますわ・・・。
まだまだ、図書館探査は続けますよ~。。。
国土地理院で航空写真を検索していたところ、昭和38年のMTO635X-C2-22と言う写真に鉱山全貌がうかがえるものがありました。
抗口も右岸に3つはあったようです。
あの場所は今後どうなるのでしょうか?
今後は鉱業遺産として世に語り継ぎたいという鉱山関係者の
方々の熱い想いがあり「蔵王鉱山を語り継ぐ会」と言った
ものが立ち上がっております。資金を募って将来的には
蔵王鉱山資料館を作りたいとのことです。
http://zao-mine.org/
ご来店ありがとうございます。
確か猿倉ゲレンデには、精錬所があったかと…。
住宅は中川分校周辺にだったと思います。
https://soratabi.yamagata1.net/archives/152
もう一回、鉱山跡地に行けたらいいなと思っています。
その時は、またUPしますので、どうぞまたご来店ください。