時は流れて43年 〔蔵王鉱山跡地を探索の巻き〕
年配の人にきいても、その蔵王鉱山を知っている人は数少ない。
「蔵王鉱山」の正確な位置もイマイチわからない。
山形では、すでに蔵王鉱山は無かったかのような扱いになっている。
そこまで蔵王鉱山の存在は、風化してしまったようだ。
蔵王鉱山の歴史を簡単に紐解くと・・・。
明治初年 蔵王鉱山露天掘りで硫黄採掘始まる。
昭和11年 蔵王鉱山(硫黄)が再開される。
昭和14年 須川の毒水化を県が調査開始
昭和15年 熊野岳西1.5キロメートルの小火口ができ
ガスが噴出し鳥地獄に新しい噴気孔ができる。
昭和16年 年産8,500トンとなり終戦まで続く
昭和17年 鉱毒水が顕著になる。
昭和22年 蔵王鉱山再開。
昭和38年 閉山される。
さてさて、今回の探検部は
この存在すら風化した「蔵王鉱山跡地」を探そうちゅう企画です。
謎多き「蔵王鉱山跡地」を発見できるか!
それでは行ってみよ~~♪
発見しました!コレが蔵王鉱山の跡地です!!!
資料によりますと、蔵王鉱山の跡地は、スキー場になっているそうです。
しかし・・・鉱山の跡らしい跡は、見受けられないのですが・・・・。
跡・・・。跡形もなぁああああ~い!!!・・。・゚・(ノД`)・゚・。
閉山したのが43年前だもんなぁ~。仕方が無いかぁ。
コレが跡か???・・・ちゅうか、ただ砂利かなんかを取っただけのような・・・。
決して、硫黄を採掘した跡じゃねぇ~なぁ~~(,,゚Д゚)。
無意味に開けた空間だが・・・。
コレって何かがあった跡じゃなぃ???て思うのはワシだけ???
結局、ココでは跡らしい跡は、何も見つかりませんでしたよ~(´д⊂ヽ。
蔵王鉱山の硫黄の採掘により
周辺の川が汚染されたとの情報を得ていたので
硫黄が流れ込んだであろう「仙人沢」に手がかりを求めてみることしてみた!
ちゅうわけで、進路を変更して「仙人沢」にGo!
ここからは、徒歩で分け入ります・・・。
ひぃ~~~なんだか山道怖いよ~~~(; ´Д`)。
一体ワシは何をしとるんだか・・・。
(゚д゚;)・・・なんでこんな所に、幼稚園バックらしきもんがあるの???
ちゅうか・・・・微妙に怖いんですけど・・・・(゜Д゜;)~。。。
誰かさらわれたの??? それとも道に迷った幼稚園児がいるの???
何なの━━━━━(゚д゚;)━━━━━っ!!!!!
仙人沢にかかる「みなみ蔵王橋」に到着!
さてさて・・・何か手がかりはあるもんだか???
橋の真下!怖ェエエエエエェェェェ(゜Д゜;)ェェェェエエエエ!!!!
落っこちたら、完全にシムぜよっ!!!
橋から見た上流側ですが、鉱山跡地らしきものは・・・全く無いかと・・・。
下流を見ましたが・・・。いたって普通。
この仙人沢、きれいな川ですが生き物は住んでいません。
蔵王の温泉が流れ込んでおるため
それと蔵王鉱山跡から流れ出る硫黄のため
強酸性になっているんですねぇ~。キレイな川のくせして死の川とは・・・。
次回はpHでも計ってみるかなっ。
この橋は、昭和39年にできたんですなぁ~。蔵王鉱山が閉山して1年後か・・・。
昭和39年っていうと。東京オリンピックのときですなっ。
42年間、ココでじ~っとして、生き物が住めない川の流れを見てきたんだろうなぁ・・・。
みなみざおう橋、キミって凄いなぁ(; ´Д`)。
ギョエエエエェェェェ(゜Д゜;)ェェェェエエエエ!!!!
今度は沢山あるウウウウウウ!!!!! 園児集団拉致疑惑状態ですよ!!!!
マジでなんなんだぁ~~~コレはぁああああつдT)。
少し進んだところで、鳥居発見!
でも少し人工的でないか??この鳥居。
イマイチ歴史が感じられないが・・・。
まあ探検してみる。
Σ(゚Д゚;ん? 階段の上に、なにやらプレートらしき物を発見!!!
君はどこにいる 君はどこへ出ていく そして俺もだ
早いもので、私たちの職場、蔵王鉱山が閉山されてから
33年の歳月が過ぎていきました。
時代や環境が変わっても、蔵王鉱山での思いでは変わりません。
その想いを、鉱山生活の象徴でもあった、山神神社の復元に託しました。
ここに謹んで奉納名簿を作成し、蔵王鉱山の歴史を後世に残したいと思います。
平成8年3月15日
ビンゴだ・・・・(,,゚Д゚)。
蔵王鉱山の存在は、風化はしてなかったのだ。
こうしてここに、有志が建設した「山神神社」の形で残っていたのだ。
「君はどこにいる 君はどこへ出ていく そして俺もだ」
じいいいいいいん。・゚・(ノД`)・゚・。
閉山の無念さが、時を越えて伝わってきましたですよ・・・。
プレートの上には、ちいさな社がありました。
お賽銭、入れときました。
結局、鉱山関連の神社は発見したものの
蔵王鉱山の正確な場所は特定できませんでしたよ・・・(´・ω・`)。
あのプレートに書いてあった奉納者を探し出して
話を聞くしかないのかなぁ~~(; ´Д`)。
続きは・・・あるのかないのか・・・。 乞うご期待!!!
2012年9月26日 続編をUP! こちらもご覧くだされっ♪
いやいやコチラこそ~。朝っぱらから新米をご馳走様です^^)。
Go!Go!探検部を今後も宜しくおねがいしますぅ~~。
凹ね。
ワシの仮説ですが、幼稚園バックは山菜採取用のバックであるかと思われます・・・。しかし、何故あんな大量に?何故に幼稚園バック??
やっぱり謎です。。
いつでも山形さ、来てけろ~。
あんもねぇけんども、案内さ、してけるよ~^^)。
あのさ、続きで「炎立つ」も読んでみ。 NHKの大河でもやってたやつ。かえん読んでから読むと話、つながってんだよーーこれが!
うちのおにいちゃんには中学の頃読ませました、そしてハマりやがった!
思うつぼな息子ですたい。 奴も連れてっていいかしらん?
あてきちどん、息子もよろぴく。
今更、書き込みです、失礼します。
蔵王硫黄鉱山の位置が特定できそうな資料を発見しました。
精錬所が猿倉スキー場になったようです。
坑口は、黒姫ゲレンデの南東側の蔵王沢右岸、
北緯38度8分31秒、東経140度24分59秒付近のようです。
地図で見る限り、黒姫ゲレンデから近くまで入れる道があるようです。
再チャレンジ、期待しますw
おおおおおおっ!ありがたき情報をアリガトウゴザイマスっ!
以前、Web上で坑道入り口と思しき画像がUPされていたのを見たことがあったのですが
再度見たときには既にWEB上から消失。。。。
古地図からも探せず、蔵王鉱山の知る人も数少なく。。。
ぜし、再度アタックしたいと思います!
貴重な情報!誠にアリガトウございまッスm(--)m。
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/web_museum/database.html
[鉱物][久野久 地図・フィールドノート][地図53 上ノ山1]
中央付近に「硫黄坑」の記載を見つけました。
まだ、中川村の名前が存在しますw
お気をつけて
コレマタ詳細追加情報ありがとうございます。
そうか~鉱物関連からのアプローチかぁ~。。。そのスジがありましたか。
しかも、情報源が東京大学総合研究博物館のサイト!!!
このサイトってば、ものすごい好奇心をくすぐるサイトですなぁ。。。
こんなサイトを知っている蚯蚓様は、かなり知的な方と察しました!
熊対策を行った後、探検に行こうと計画中です。
いやいや、ホントにありがとうございます~♪
コレで、一歩がまた踏み出せそうです!
昭和28年に発表された蔵王鉱山に関する論文
「蔵王鉱山の地質構造と富鉱体との関係について」を発見しました。
精錬所(猿倉スキー場付近)から蔵王沢の元山採鉱場まで、徒歩で約4km有ったようです。
標高差は500m、当時は索道も架設されていたと有ります。
精錬所跡は、現在のエコー山荘の北側、仙人沢と蔵王沢の間だったようです。
Googleマップの航空写真で見ると、スキー場でもないのに綺麗に積雪が見られる場所です。
蔵王沢方向から攻めるのはつらいかも?黒姫ゲレンデ側から攻めた方が良いかもしれません。
私は、知的でも何でもありません。ただ、鉱物に興味があり、鉱物なら鉱山関係や地質関係などから検索すれば、何か収穫があるかもと思い、「山形 鉱山 鉱物」などのキーワードで検索していたら、それこそたまたま見つけたのです。
これもインターネットの面白さでもありますよ(^o^)
続報を期待しております。
いや~美味しい情報をマタマタ頂戴して~有難う様です^^)。
グーぐるでおおよその位置は確認しました。
もっぱらの課題は・・・。
①熊と戦った際に勝てるか?
②草ぼうぼうと思われるケモノ道をただしく行けるか?
③仕事の暇がとれるか?
といったところです。
とは言っても、必ずや攻めてみたいと思います♪